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最後の日のこと(3月10日)

3月10日は、ナオキの仕事が休みでした。
ちわりの状態は好転しておらず、病院へ行かなければならない、
でも、K大学付属動物病院主治医のH先生の診察日は火曜日、10日は月曜日…
ナオキには、病院を優先して火曜日に休んでくれるようお願いしていました。
でも、この時は、何とか出来ない?と頼んでも、火曜日に休むことができませんでした。
K大病院に電話で問い合わせると、「摘便だけなら近所の病院でいいですよ」と…
そうなのだけど…それはわかっているのだけど…
ざわざわした気持ちのまま、K大病院を紹介してくれた、Y動物病院へ行くことにしました。
別にY病院が悪いわけでは全然無いのです。ただ、何となく不安でした。
Y病院へ着いたのが11時頃、お昼過ぎから診察を受けて、摘便をお願いし、
浣腸は使わないこと、レントゲン等も今回はしないと決め、
30分くらいで終わりますが待ちますか、後でお迎えに来ますかと聞かれ、
最初は駐車場で待つことにしていました。
でも、その後ふと、Y先生に、今ある分だけ取るのではまだお腹が張って痛いかも、
少し時間をかけて出来るだけたくさん取りましょうか、どちらにします?と聞かれ、
時間をかけてたくさんとってもらう方を選んだのです。
そして16時頃終わる、終わったら電話をもらうということで、ちわりを預けて病院を出ました。

3月4日にK大病院へ行った後、わたしはちわりの状態が好転すると思っていました。
だから次のお休みだった10日は病院へ行く必要が無いはず、
のんびり過ごさせよう、休ませてあげようと思っていました。
もう、ドライヴで食欲がわくとか元気が出るという状態ではない…
のんびりさせてあげたい、みんなでお昼寝してもいい。
以前は大好きだったベッドで一緒のお昼寝、体調を崩してからは喜ばず、
また目が悪くなってからは、もし落ちたら…と心配で出来なかった。
今はもうほとんど動かないから、ベッドでもきっと眠れる。
楽なようにあまりくっつかないで、でも、そばにいてあげよう、
一日中、そうやって寝ていてもいい…

状況は好転せず、それならK大病院へ行きたかったけれどそれも出来ず、
でも、近くのY病院ならすぐ家へ帰れる。
お日様がある暖かい内に家へ戻って、一緒に過ごそう…
「すぐに家へ帰る」というのが16時になった後も、16時だったらまだ明るい、
帰ったらまずお尻を洗ってあげよう、それから一緒にお昼寝しよう…と考えていました。
前記事に書いた通り、別にちわりのお尻が汚れていても、わたしにとっては汚くないのです。
でも、摘便すればしばらく便が漏れることもないはず、
洗っておいてあげれば、赤くなっているところも今の内に良くなるかも…と思いました。
そう思ったことが、そのまま頭に沁みついて、家に帰る→お尻を洗うというのが、
わたしの中で固定観念になってしまったのかもしれません…

ちわりの状況が好転しなかったことに、わたしは落胆していました。
足が立たないこと、よだれが大量に出ていることやどんどん痩せてしまったこと、
今までで一番良くない状態なのは確かで、心の中はパニックでした。
でも、ここから仕切り直そう、きっと乗り切る!と思ってもいました。
ちわりの処置を待っている間に、子猫用のトイレを買いました。
入り口の高さが普通のトイレの半分、小さいからおしっこは外に出てしまうだろうけど、
トイレでしている気分は十分味わえるはず。
使ってくれるようなら、もうひとつ買ってソファのそばにも置こう。
ソファへのステップは、あれこれ考えてあったどれもそのステップ自体を上れそうになく、
考え直さなければならないけれど、
とりあえず、わたしが乗せたり降ろしたりしてあげればいい…
今まで以上にぴったりくっついて、気を配って何でもしてあげよう…
早く帰ってトイレを見せたい。きっと使いやすいよ。問題が一つ解決するね。
でも、16時を過ぎても中々電話はかかって来なくて、結局17時半頃になりました。
病院の近くで待っていたので、すぐ迎えに行き、そのまますぐ帰りたかったのに、
それからホワイトデイ用のお菓子を買いに行きました。
この日買わないとホワイトデイに間に合わず、前から買いに行く約束をしていたし、
職場の方たちへのお返しだからちゃんとした方がいいのは確かで、
今日はともかく帰ろう!と言い出せなかった。スーパーで買いなよ…とも言えなかった。
結局、家に戻ったのは21時近くでした。

もう、もちろん真っ暗で、それでもまだ間に合う…と、思いました。
摘便で便意は納まっているだろうから、ゆっくりソファで眠れる。
おしっこには行きたくなるかもしれないけど、それはわたしが気をつけていれば、大丈夫。
もう、ソファから落ちるような目に遭わせないからね。
ナオキの仕事が休みの日以外、夕食を食べることはなくなっていて、毎日バタバタしていたけれど、
今日はママとナオキが夕ごはんを楽しく食べるのを見ながら、ちわりは気持ち良く眠れる。
ナオキもきちんと食事をして早く寝られる。
家に入って、わたしはそのまま、ちわりを洗面室へ連れて行き、
この数日していたようにお湯を張り、おしりを洗いました。
ほとんど何も考えず、ともかく早く全部済ませて、ソファで寝かせてあげたいと思った。
トイレのそばに伏せ状態で、度々動いていた昨日と一昨日…今日はもう大丈夫。
すっきりして、ゆっくり眠れるよ、ちわり。
でも、ちわりがわたしを見上げた時、丸い、全面エメラルドグリーンになった目で、
「ママ、違うよ、間違ったよ!」と、言いました。
すぐ口呼吸になって、慌てて体を拭いて、一旦は納まったのですが、
少し後に再び口呼吸が始まり、その後はもう、ほんの数回の呼吸で終わってしまいました。
苦しい息の中で、ひとつ、ぽん!と、うんちをして、あっという間に全部終わってしまいました。
「嘘だろ、さっきまで動いていたじゃないか」と泣くナオキを見ながら、
わたしは泣くことが出来ませんでした。

どうして、わたし、お尻を洗ったりしたのだろう…
一日家にいて、様子を見ながら洗うのとは違う、とても疲れていたはずなのに…
なんでこんな大事なところで、こんな無神経なことを無造作にしてしまったの…
でも、わたしはいつもそんなことばかりして来たような気がする。
ふとした時、無造作にミスしてしまう。
そこでどうして…と言われるようなことばかりする。
去年の秋にちわりの体調が崩れて、何度かあった危機、大きい危機も2度ほどありました。
その度、ちわりががんばったのだけど、わたしの勘もびっくりするほど冴えて、
あちこちが見えるような、いつもの自分とは違うわたしがいて、一緒にがんばってこられた。
それなのに、最後の最後で足を引っ張ってしまった。
それだけじゃない。なんで一日病院へ預けてしまったのだろう。
今日はやはりゆっくりするべき日だった。どうして疲れさせたの…
30分だけにすれば良かった。せめてお菓子なんて買いに行かず、さっさと帰れば良かった。
疲れていなかったら、ちわり死ななかったかもしれない。
焦っていなかったら、明日洗ってあげるねって、普通に頭が働いたかもしれないのに。
それに、なんでいつも通り、火曜日にK大病院へ行かなかったのだろう。
Y病院が悪いのではない。優しい先生で丁寧に処置してくれた。選択したのはわたし。
でも、もしK大病院へ行ったとしたら、一日預けてということはなく、
逆に、前回に少し話が出た「入院」ということはあったかもしれない。
入院させたくなかったけれど、入院していたら死ななかったかもしれない。
持ち直したかもしれない。
胸騒ぎを信じて、なんとしても火曜日、K大病院へ行っていたら…
どこかで一本違う道を選んでいたら…
少しだけ違っていたら、今もちわりは生きていたかもしれないのに。
せめて一番最後に足を引っ張らなかったら…ちわりはがんばってくれていたのに。
どんなことでもしてあげたいと思っていたのに、何もしてあげられませんでした。
最後の一日を、気持ち良く過ごさせてあげることさえ出来なかった。
そして今は、とても大きな後悔なのに、それよりもっと悲しくて寂しい。
最後にわたしを見上げた時、ちわりは嫌がってはおらず、ただ、
「ママ、失敗だよ、大丈夫?」って、困ったような顔をしていました。
わたしのために長生きしてくれたような、
ずっとがんばってくれていたような気がしてならないの。
それなのに、今だって相思相愛のはずなのに、どうしてもう会えないの…
行けるなら本当にそばに行きたい。ついていてあげたい。

ニンゲンのご家族を亡くされた方、ご自身が重い病気の方…
色々な方がいらっしゃるのですね。
不快にさせていたらごめんなさい。
でも、わたしには、誰よりちわりが大事で、一緒にいたいのは誰よりもちわりなのです。

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かわいい顔してる…
3月6日に撮りました。
7日にも撮っているけどタオルの中にいる写真なので、
これが、生きているちわりの、顔がきちんと写っている最後の写真です。

by chiwari-yuki-y2 | 2014-04-05 06:48